てのひらのUniverse

宮古島で地球暦とともに暮らしています。

前日まで蚊にさされていたのに

春分の日はなんと夕食が『鍋』になるほど冷えこみました。

内地は桜が見頃かな。

開花宣言があると、たちまちのうちに満開を迎える内地の桜。

テレビで桜が映されるたびに

ほんとうにいいにおいがするんだよー、と言うんだけど

宮古育ちの旦那さんにはわからないみたい。

見せてあげたい、より『あの感じを体感させてあげたい』

・・・ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、内地の桜には胸がきゅんとします。

 

どうしてこんなに長い間聴かずにいたんだろう、

ZABADAKの『桜』を久しぶりに聴いて

内地の桜を思い出しています。

 

ZABADAKが解散する前の最後のツアー、タイトルが『桜』でした。

曲を聴いて、はじめて行ったそのZABADAKのライブの空気感までも思い出す。

 

たまにはいいよ、思い出しても。

生きてきたわたしも、生きているわたしも、生きていくわたしも

ぜんぶ、わたしだから。

 

 

たったひとつ、たいせつなこと。

春分前のこの時期は、地球暦のお届けもあってうれしい再会がつづいています。

販売代理店をさせていただくようになって

地球暦を使い続けてくださる方がいらっしゃることはとても嬉しいことです。

その一方、

いちど使ってみたけどよくわからない、使いこなせないというお声も。

これはわたしの反省点です。

 

 

地球暦=太陽系時空間地図。だから、

おはなしする、となると

太陽系のこと、地球と月の関係性、旧暦と新暦のおはなし、陰陽のおはなし、

それからそれから・・・と、どこまでもとりとめもなくひろがっていきます。

地球暦そのものがとてもシンプルななかにものすごい情報をふくんでいるので、

1回のおはなし会やワークショップでは(このすごさを)お伝えしきれないというのが

素直な気持ちです。でした。

 

 

地球暦とともに暮らしつづけて11年、おはなしをつづけて数年

 

『地球暦の基本』はたいせつですが、

わたしにとっては地球暦をとおしてご縁をいただいたかたに、

いま、それよりなによりおつたえしたい、もっとたいせつなことがあります。

 

「よくわからなくていい」と思うんです。

「使いこなせなくていい」と思うんです。(そもそも使いこなすってなんだろう)

いちばんたいせつなのは、地球暦の前にいるあなたです。

あなたがいま、ここにいるというただそのことが、

太陽系を理解するよりずっとずっとたいせつです。

 

いま、わたしはそう思います。

 

 

 

 

 

 

毎日が、特別な日。

旧暦如月朔日をむかえました。

ここ最近スカッと晴れていなかったから

満天とまではいかないけれど 久しぶりに美しい星空がみられて感動しています。

 

きのう嬉しい再会があったのですが

「明日(今日のことです)は特別な日なんだよね」と言われ、

そうか『特別な日』かぁ、と。


暦のことを知る前に、『新月』という単語をはじめて耳にしたのは 

オーラソーマを学んでいたときでした。

そのころは月のサイクルなんて意識したこともなかったし(そんなものがあるとも知りませんでした)

新月の夜に、月に向かって(見えないけど)お願いごとをすると叶うらしいよ、

と聞いて盛り上がったり

カレンダーと旧暦をつきあわせて、

「あ、ラッキー☆今月は新月が2回あるよ」とか(!)ウキウキしながら手帳に書き込んだり。

いまふりかえってみると不思議なことを、新鮮に思っていました。

 

くらしのなかで、あたりまえになっていることに「?」と思う機会なんて

そうそうおとずれるものではないかもしれません。

 たとえば

 シャンプーとコンディショナーはセットで使うもの

 衣料用洗剤と柔軟剤はセットで使うもの

 (↑コンディショナーも柔軟剤も使わなくなって10年以上経ちますが  死にもしないし、困りもしてないです。)とか。

 

マス目で区切られた、12枚の紙で構成されているカレンダー以外に『暦』があるなんて!


でも不思議なことに 地球暦は

よくよく考えるとひっくり返りそうになるぐらい『これまでとちがった』のに

違和感はなく ごくごく自然にわたしのなかにすんなり入ってきました。

 

・・・地球暦をお預かりしているからには、

わたしも微力ながら地球暦のことをお知らせしないとね。

 

 

特別な日といえば、今日は特別な日です。

春分目前の、新月です。

 

 

 

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生まれた日と書いて、星。

生まれた日と書いて、星。

教えてくれたのは地球暦考案者の杉山開知さん。

 

A1サイズの地球暦になってはじめて目にしたとき

春分夏至秋分冬至・・・とひととおりながめてみた後に 

無意識のうちになによりもまず探したのは、

・・・わたしの誕生日の場所でした。

 

写真でも同じなんだとか。

集合写真を目にしたとき、人は、まっさきにじぶんの顔をみつけようとするのだそうです。

 

じぶんの顔を知っているということも、

じぶんがこの世に生まれた日付を知っているということも、

あたりまえのようで実はとてもとても恵まれたことなのだと思います。

 

 

まもなく春分です。

そしてきょうは旧暦睦月師走。

宮古島に暮らしていると、旧暦は『旧』なんかじゃないと感じます。

 

 

 

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お皿の上の宇宙。

きのう、旦那さんが「ホワイトデーだから。」と言って、

食事に連れていってくれました。

まだオープンしたばかりの、はじめてのお店。

旦那さんはお店の開店前からサポートをしていたので

いちどお客さんで行ってみたかったそうです。

 

なにもかもが素敵すぎる。

広さも席数もテーブルもカウンターも照明も、

グラスも食器の数々も。

わたしがこのお店をやりたいぐらいです(笑)

 

器にこだわっている飲食店さんはたくさんありますが、

きのう目にしたさまざまな器は、しぜんに宇宙を感じさせてくれました。

 

まるいお皿に盛りつけられたあざやかなお料理。

そこにはご主人のとっておきの技術や思いやセンスがあふれています。

地球暦もまるいから

わたしたちはそこに何をどこにどう盛りつけるのか、どのくらい盛るのか

じぶんでデザインしてじぶんで決めて、じぶんでプロデュースしていけばよいのです。

 

まもなく春分です。

 

 

 

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※お店の名前は『みしょーれ』といいます。イーザト入口にできたちいさなお店です。

奄美出身のご主人の絶品料理が数々。

ぜひ少人数で!こっそり行って味わってください 。

 

あっても、なくても。

 

春ははじまりの気分をごく自然に連れてきます。

内地から宮古島に移住して8年目、

わたしもこの島ならではの季節感覚になじみつつあります。

葉桜で迎える卒業・入学のシーズン。

きょうは高校の合格発表でした。

 

わたしも あたらしい日々をむかえることにかわりはないのだけれど

夢や希望をいっぱい胸に抱いた若者とはちょっとちがって

あたらしい夢も希望も目標もとくにいまのところはないけれど

そういうものって、

あってもいいし なくてもいいのではないかと

そう思いながら今日これを書いています。

きのうもきょうもあしたも、ずっとわたしはわたしで。

夢があってもなくても、わたしで。

 

自由に思い描いてよいはずの「夢」とか「希望」を

もたなければならない、としばりつけるのは

ほんとうはなんかちがっていて、

でも誰よりもわたし自身をそこにしばりつけていたのは

ほかでもない、このわたしだったことを

思い知らされています。

 

地球暦のおかげです。

 

 

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こわいけど、また。

数年ぶりに『書く』ことを決めたものの

怖くて身体がすくみそうになっているわたしがいます。

 

じつはこの数年間のわたしは、

地球暦のワークショップをとおしてみなさまにお伝えしてきたのとはまるで逆の、

忙しくなにかに追われ、急き立てられるような毎日を送っていました。

 

いつでも自然と感じられたはずのゆったりとくつろいだ感覚を

地球暦を目の前にしていても味わうことができないこともありました。

悲しくなったり あきらめようとしたり いじけたり すねたりしていました。

 

その毎日を変えたいと思いつづけていたら、突然ぱかんと状況が変わりました。

立春を迎える前、宮古島でもちょっと寒かった土用の期間にそれは起こりました。

あまりにもあっけなく突然すぎてびっくりしているところです。

 

春分を前に これからどうしていくのか、何も決まっていないけれど

それでもわたしの手元には今年もみなさまのもとに旅立つ地球暦がいます。

そして、悩んだり迷ったりちょっとしんどい思いをしたおかげで

こんなことを思えるようになりました。

 

 

時間は すべての生命に等しく与えられていて

よろこびやしあわせを多くも、少なくも与えられていないし

悲しみやつらさを多くも、少なくも与えられてはいない

 


それをわかったようでいながら、

またひとりで悲しみの底にひざを抱えて座り込んでいるのも、このわたし。

ときおり何かが吹っ切れたように人生は楽しいとハナウタをうたうのも、このわたし。

 

世界ランキングがあったらかなりの上位をとれそうなぐらい飽きっぽいこのわたしが

11年もいっしょにすごしているなんて、

地球暦はほんとにすごい。